教育のチカラ -332ページ目

自由でいるために

長く生きていると(といってもまだ37だが)

いろんな責任、いろんな縛りが自分にのしかかってくる。

 

これを当たり前と思って、

「しょうがないよ」と考えずに、

責任を果たしながら、期待に応えながら、

自由でいるためにはどうしたらいいか。

 

頭の中を常にリフレッシュし、

オリジナルでいる。

 

世の中に不平を言わず、

自分自身不安に押しつぶされもせず、

良い状態の自分でいたい。

 

僕はそのために、旅に出る。

海外に出かけていく。

 

国内だと、出張みたいで、

今ひとつ自分の殻を抜け出せない。

 

国が違うと、

目に入ってくるもの、

聞こえてくるものがまったく違うから、

それだけで脳みその栄養になる。

 

 

実は今も、海外にいる。

しかも、かなり遠い。(日本から10時間以上)

 

さて、どこにいるでしょう?

 

良い家は、北側に窓がある。

青空なんだけど、時々土砂降りになる。

海の色が薄緑色。

街並みはとても美しい。

肉の値段は牛が一番安く、鳥が一番高い。

 

僕はこの国で、本のプロットを書こうと思ってる。

若者向けのコミュニケーション本

 

ぜんぜん筆が進まないんだけど、

過去のMLなどから、いろんな話を引っ張り出して、

そこに、書き加えて最初の一塊を作ろうと思ってる。

(なんたって、7月末が初稿締め切り)

 

もちろん、

この国のおいしい食材

クレイフィッシュ、

オイスター、

ムール貝、

ラム、

などは十分に味わうつもりだし、

ワインも堪能しますよ。

 

さて、どこにいるかわかりますか?

 

場所を言い当てた人には、何かお土産でもあげますか!!

仲良くなれる人     なれない人

ネットで知り合いの数が一気に増えた。

物理的に出会える数には限界があるけど、

ネットはそれが無限大になる。


自分の生活環境では絶対に会えない人と知り合える。

海外の友人とも結構頻繁に連絡が取れるようになった。


すごいよね。


で、知り合う機会が増えると、どうなるか?


「出会い」の敷居が低くなった。

大量の知り合いが生まれた。


次は、その知り合いの中から、

友人になるか、それ以上になるか。

または、一時の出会いで終了するか。


つまり、

たくさん知り合った人が、

仲良くなれる人と、そうじゃない人に分かれる。


これはどこで分かつのだろう?


僕の場合は、仕事でも、多くの出会いがある。


その中で、

また会いたいと思う人、もっと知りたいと思う人、

ぜひ、仲良くなりたいと思う人。


気が合う。

相性がいい。


そんなたぶんにメンタルな理由の場合もあるだろう。


学べそうだ。

得しそうだ。


そういったリアルな理由もあるだろう。



僕の場合は、

目上の場合は、格好良いかどうか(憧れられるかどうか)

目下の場合は、かわいいかどうか(可愛げがないとね)

同い年の場合は、ライバルに思えるかどうか・・・かな。


まあ、

もっとカジュアルに言うと、

仲良しランクを、松竹梅でいうと


梅 一緒に飲みに行きたいなと思える相手

竹 一緒に旅行ができるかなと思える相手

松 自分の家に泊めてあげてもいいなと思える相手


これって、

自分との距離を、どこまで許容できるかってことだよね。


まあ、梅、竹の場合は、勢いで行っちゃう場合もあるけどね。



それに、飲みに行けば、その人の本音は聞けるし、

旅行にいけば、スタイルも見えてくる。

そうやて、リアルの世界でも相手を確かめないと、

本当に仲良くはなれないかな。


でも、出会いの機会を増やしてくれたネットには感謝だよね。



負け犬

今日はとある2日間セミナーの冒頭を見学してきた。


君は負け犬なんだよ。嫌なことから逃げ出してきたんだよ。」

「でも、まだ可能性がある。良くなる可能性があるんだよ。」

「なぜなら、君は若さという財産があるじゃないか。」

「失敗してもいい、まだ、教えてもらえる年齢なんだ。」


とにかく、座っている若者に向かって

次々と機関銃のようにしゃべる講師


聞けば、400名から面接やテストで勝ち残った35名が一番前に座っている。


中盤には、2ヶ月間の研修を終えた、いわば卒塾生が、聞いている。


またその後ろには企業関係者が座っている。




講師が話していることはもっともなこと。


上司の前では、ニコニコして機嫌よく、邪魔にならないようにしていろ。

何を言われても「はいわかりました。」と答えろ。


言っていることを要約すると、


今の社会は50、60代のルールで動いている。

だから彼らにかわいがられるような人間になることが成長の最短距離なのだ。



なるほど。

そうかもしれない。

少なくとも、これまでと、あと5年くらいはそうだろう。


でも、

大人が好きな若者は、

自分の言うことを従順に聞く子だろうか?

「かわいい」のと「面白い」のはどっちがいい?


みんな同じように躾けられて、

今の世の中の矛盾に噛みつくよりは従ったほうが得だと、

考える若者であふれたら、

なんだか日本の未来はお先真っ暗なような気がする。


今のルールに従うことで、この先5年間くらい得しても、

10年後には取り返しがつかなくなってやしないか?


同じルールに従うのなら、

日本の50、60代じゃなくて、

アジアの人たちとシェアできるルールに従うとか、

世界共通のルールに従うとかしないと、


今の日本を作っているルールに慣れても、

それはすぐに使い物にならなくなるかも知れない。


まあ、礼節の部分は、いつまでたっても使えると思うけど、

上の機嫌をうかがうような若者にはなってもらいたくない。


若者が結果的に媚びることで、

オヤジを調子に乗せてもいけない。


大体・・・

そんなことじゃ、変わらないだろ、世の中。。。






眠れぬ夜は

眠れない夜。

僕にはあまりない。と言うか覚えていない。


不安で一杯になって、眠れないくらい悩むこと。

不思議と、そんな深刻なことになったことがない。


根っからの楽天主義なのか、

そもそも深く考えていないのか。



世の中には、不安で体を壊してしまう人もいる。


不安の原因はたくさんある。

人間関係、お金に関すること、自分の能力に関すること・・・


それらはすべて不安やストレスの原因になり、

普段ならなんでもないような「判断」さえ鈍らせる。


考えても仕方ないと、腹をくくってしまえばいい。


「自分にはスキルがない、資格がない。」


それが本当に嫌なら、勉強すればいいし、資格もとればいい。

でも、そういう人は、資格を取っても、この資格だけじゃ不安だと言うことになって、

いつまでもその負の流れから抜け出せない。


いいんだよ。

今のままで。

ただ、自分らしくあればいい。


自分の良い状態を維持すればいいんだよ。


「北の国から」というドラマで言っていた。


自分らしく誠実にしていれば、自然はその人が生きていくだけに十分なものを与えてくれる。


それと同じこと。


自分らしく誠実であれば、

そして、多くを望まなければ、

あなたが生きていくのに必要なものは、

すべて手にすることができる。




不安より不満を恐れよう。

心が戸惑うことなんて、生きていればたくさんある。


でも、それを自分以外にぶつけるのはやめよう。

不満にしてしまえば、誰かを傷つけることになる。


それより、眠れない夜を、受け入れよう。


それだけ、誠実になろうとしているのだと、思えばいい。


自分に、自分の将来に、誠実になる。

それは「自分らしく生きる」うえで欠かせない。


怖かったら怖がればいい。

泣きそうになるのなら、泣けばいい。


眠れないときは本を読め。

感動できるような映画を見ろ。


自分が抱いている不安を相対的に小さくするために。


「自分らしく誠実に。」


最終的には、人間はみんなここに帰ってくる。


富も名声も、その通過点でしかない。


最後には、誰もが、「自分らしさ」を求める。


不安は大丈夫。

付き合っていい相手だ。


眠れぬ夜は、本を読め。

疲れるまで読んで、

体が眠くなったら、気持ちは楽になる。


ね。


だから、負けないで。


あとから振り返れば、きっと、なんでもないことだから。






アジア人とテーブルを囲もう!!

ファシリテーターって何?


そういう疑問を持つ人は多い。

プレゼンテーションと違って、まだメジャーな言葉じゃないのかもしれない。


いつもはセミナーで、ファシリテーターとは問題解決“させ”者だと説明している。


自分の問題解決能力を高めるのも大事。

でも、世の中で成功できるのは、自分の周りも問題解決者に変えることができる人。


まあ、難しい話はセミナーでやるとして、

簡単な話を。


僕はよく海外に出かける。

取れる時間が短いときは、もっぱらアジアに出かける。


チャイニーズニューイヤーだとか、ソンクーラン(タイ正月)などは、決まって友人と会うために出かけていく。

お祝い事やイベントはたくさんあるから、それこそ毎年6~7回は、アジアのどこかの国に出かけている。


で、みんなで中国料理を食べる。

でっかい丸テーブルに10人くらい座り、あれこれ話をしながら大騒ぎするのだ。


正月がらみのイベントなどでは、それこそ香港、台湾、タイ、マレーシア、シンガポール、上海、ベトナム、韓国などから友人が集まる。

大体が中華系。彼らは一様に英語を話す。

そんな中、僕を含め日本人は1~2人。


僕や韓国人は中国語が話せないから、気を使って英語で話してくれるんだけど、

白熱すると、彼らの会話は中国語になってくる。


日本人や韓国人が存在感を発揮できないと、なおさらだ。


僕は、何とか会話を英語で続けさせるべく、会話に入っていく。


そのときに、

英語力とか、どんな話題かなんて、実はあまり関係ない。


僕がどういう状態で話をするかが問題なんだ。


明るく楽しく、しかも一生懸命話をすれば相手は聞いてくれる。

僕の英語が例え完璧でなくても、「聞いてくれる」


相手は語学力がないから聞いてくれないのではなく、

話している人に興味がないから聞いてくれないのだ。


それから、内容なんてなんでもいい。

その人と話をしたいというのが一番先で、

その人が何を話すかなんて、2の次3の次なんだ。


「お前と話したいから、話しているんだ。」


本当に単純。


第一、聞いてもらおうと面白い話をしようとしても、

笑いのつぼは微妙に異なるし、

どうしたって、文化の壁はある。


でも、人間の壁は、思ったより低い。


握手しちゃえば、同じくらいの大きさの手だし、

肩組んだって、同じ高さに相手の肩はある。


体とか、目とか、一緒だし。

笑顔も、困った顔も、怒った顔も一緒だし。



アジア人は優秀だ。

特に中華系。


日本人として、

一人のファシリテーターとして、

彼らとの会話についていく、

もしくはリードすることが出来れば、

それはすごい自信になる。


だから、気後れせず、

イベントやお祭りを利用しても、

彼らとの接点を持ち続ける。


彼らは、友達であると同時に、

自分のスキルを磨く練習相手でもあるのだ。



中国語を話す。

英語も話す。

世界の主要言語のうち2つも押さえてる。

移民して外の世界で苦労した歴史がある彼ら。

たくさんの同胞の中で激しい競争をしてきた人彼ら。


安全に守られた国で、ただ大人になった日本人が彼らと伍していくにはどうすればいい?


技術力というけど、

そんなものを持っているのは、日本人のごく一部だ。


国としての力が強いのか?

経済力高がよりどころのこの国で、

借金が膨らんでいる事実をどう捉える?


中国よりはましだという人もいるけど、

~よりまし・・・なんて考え方そのものが陳腐だ。



なんて、僕なりに切迫感をもって、生きようと思ったとき、

彼らと接する時間は、とても貴重なものだ。


ファシシリテーションスキルを磨くひとつの方法として、

アジア人とテーブルを囲むことをオススメします。